勝又清和:最新戦法の話

スペシャリストへのインタビューが秀逸です
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評価:S
対象者:将棋ファン全般
発売日:2007年4月

横歩取りの序盤から飛車を下段ではなく8五に引く「△8五飛戦法」、後手番なのに自ら角交換をして一手損をする「一手損角換わり」、居玉のまま居飛車穴熊を攻めつぶす「藤井システム」、角道を開けたまま中飛車にする「ゴキゲン中飛車」など、現在流行している戦法の多くは一昔前の棋理(将棋の理論)では考えられないものばかりです。

△8五飛戦法に関して羽生王座は『この戦法が生まれた理由は私にもわからない。指がすべったとしか思えない。だってメリットがなさそうに思えるじゃないですか』と語っておられます。

本書はこれらの最新戦法が誕生した経緯、その後の紆余曲折、定跡として体系化されてきた現在、そして未来を、中座七段(△8五飛戦法)、藤井九段(藤井システムと相振り飛車)、中田六段(コーヤン流三間飛車)など、それらの戦法の生みの親(またはスペシャリスト)のインタビューを交えて解説しています。

著者は「消えた戦法の謎」や「新手年鑑 Vol.2」、専門誌「将棋世界」の連載、「囲碁・将棋チャンネル」の講座などにおいて、その分析力と棋士へのインタビューに定評がある勝又六段です。

難しい話を難しく話す、あるいは易しい話も難しく話す(笑)ことは誰でも出来ますが、勝又六段は「難しい話をアマチュアでも理解できるように易しく解説」する技能に秀でており、本書もエッセイを読むようにスラスラと読めてしまいます。

全294ページ、見開きに盤面図が2〜4枚ほど配置されています。盤面図の下には「note」と題し、その戦法のターニングポイントとなった一手や定跡手順などが掲載されています。

なお、本書は「将棋世界」の2006年1〜10月号に連載された「これならわかる勝又教授の最新戦法講義」を大幅に修正したものです。連載時に同講座を読んだ方を意識してか、書下ろしとして石田流、コーヤン流、△8五飛戦法の3講を追加しているところも見逃せません。目次は以下の通りです。

流行戦法の変遷
第1講 一手損角換わりの話
第2講 矢倉の話
第3講 △藤井システムの話
第4講 ▲藤井システムの話
第5講 ゴキゲン中飛車の話
第6講 相振り飛車の話
第7講 石田流三間飛車の話
第8講 コーヤン流(中田功六段の三間飛車)の話
第9講 △8五飛戦法の話
参考資料 藤井システムの基本手順

この飛車引きはエポックメイキングでした

第9講 △8五飛戦法の話より:▲松本五段△中座七段戦で公式戦初登場
奨励会三段時代の中座七段は当時の中原十六世名人と得意戦法が同じで、先手なら中原流相掛かり早繰り銀、後手なら横歩取り中原囲いを愛用していたそうです。しかし、後手番の横歩取り〜の方は、▲3五歩が急所の一手とわかり苦戦するようになります。中座七段はなんとか▲3五歩を突かせない手立てはないものかと考えて、▲3六歩の瞬間に△8五飛と浮く手を考案しました。
さらに「後々△8五飛と浮くくらいなら、最初から△8五飛と引いたらいいじゃないか」と発想でこの戦法が生まれたとのこと。

この辺の詳しい経緯は講末の中座七段のインタビューで創始者の当時の考え方を詳しく知ることが出来ます。公式戦初登場以降は、上図の局面をたまたま横で対戦していた野月七段が注目し、わずか4日後に採用して勝利、A級順位戦で井上八段の残留の掛かった一番で更に注目を浴びました。
そして1年後、その野月七段の△8五飛戦法に敗れて、その優秀性を身をもって体験した丸山九段がこの戦法を駆使しA級順位戦で1位に、そして名人にまでなったことで△8五飛戦法はブームの絶頂に突入していくのです。

その後、先手の新対策も次々と出され一進一退の攻防が繰り広げられましたが、居玉から▲4八銀〜3七桂の形をいち早く作る「新山崎流」で▲3五歩を狙われると後手苦戦とわかってからは、下火となってきました。▲3五歩阻止をコンセプトに誕生した△8五飛戦法が、最終的に同じ▲3五歩によって苦しめられるという皮肉な結末が、ちょっと「泣き」のストーリー入っていて哀愁が漂っています。このあたりの、戦法が持つドラマ性が伝わってくる点も本書の大きな魅力です。

△8五飛戦法の話を例に挙げてみましたが、本書はこのような感じで各戦法の歴史を順番に見ていきます。

読んで直ぐに強くなることはないと思いますが、自分が指している(または相手にしている)戦法が、どのように誕生そして進化してきたか、それにあわせて対策もどのように変化したのかを頭で論理的に整理できますので、その戦法に対する理解が深まり、より一層の愛着がわくことでしょう。

また、NHK杯などのテレビ棋戦を見るときに、戦法の背景にある考え方などを知っていると違った楽しみ方もできます。これを読んだあとは「またいつもの序盤か、早く仕掛けにならないかな」と思うことはなくなりました。
特に、本書の中で何度か登場する「後回しにできる手は後回しにする」というフレーズ(飛車先不突矢倉からあらゆる戦法に浸透した考え)を意識するだけでも、随分見方が変わりましたね。

深浦王位の「最前線物語2」が好きな方、特にもっと読み物的な要素を望んでいた方にはぴったりの一冊だと思います。2007年に出版された棋書の中でも1、2位を争う名著と言えるでしょう。