中原誠名局集

米長・加藤とのライバル対決も堪能できます
この本の詳細をAmazonで見る

評価:A
対象者:将棋ファン全般
発売日:2011年2月

若くして大山康晴十五世名人の一強時代に終止符を打ち、昭和から平成にかけて一時代を築いた中原誠十六世名人。タイトル通算獲得数は歴代3位の64(うち名人は9連覇を含む15期)、通算勝数は歴代2位の1308と、その偉大なる記録は棋史に燦然と輝いています。

「自然流」と評された氏の棋風ですが、僕が将棋を覚えた頃あたりからは、相掛かりで歩越しの状態で▲5六飛としたり、当時は誰も真似しなかった「中原流相掛かり▲5九金型」など、「自然」とは懸け離れた独創的な将棋が増えてきました。

まさに「名人に定跡なし」といった感じですが、40代になって従来のスタイルを変えてみたり、新しいことにチャレンジするのは相当なエネルギーが必要なはず。
今思えば、若手の台頭が著しいなか、40代でトップの地位を維持するために中原十六世名人が行ったモデルチェンジの一つだったのかな、と。

本書はそんな中原十六世名人の公式対局2093局のなかから、氏自らが厳選した好局92局を解説した自戦記&棋譜解説集です。

第1部 自戦記編 第37期名人戦 第4局より ▲中原 △米長:図は△3三同桂まで
名人戦史上ベスト3に入るであろう絶妙手として有名な次の一手。ご存知の通り、中原十六世名人はここで▲5七銀と指しました。

上図で▲6七金と馬を外すのは、△4八飛成▲5八金△7九銀▲9八(七)玉に△9五歩の詰めろが受けにくく、先手敗勢です。しかし、馬を外さずに▲5七銀とすれば、上記の△4八飛成を防ぎつつ、△同馬なら馬が自玉から離れるので詰めろが消えるという仕組みです。

▲5七銀に対して、先手玉に迫るなら△7八金ですが、以下▲9八玉△7七金▲同桂の瞬間に先手の持ち駒に金が加わるので、後手玉に詰めろが掛かってしまいます。

名人戦の大舞台、手の狙いという意味では「羽生VS森内百番指し」のページで盤面図を使って紹介している森内九段の▲4八金とよく似ていていますね。

登場する将棋は大山十五世名人をはじめ、ライバルである米長永世棋聖、加藤九段、氏に続いて永世名人の称号を獲得した谷川九段、羽生三冠、森内九段など超一流の棋士との熱戦ばかりです。

全350ページの3部構成で、第1部はページ上半分に盤面図を2枚、下半分に解説や対局者のエピソードを記した「自戦記」形式です(全12局)。

棋譜の下には消費時間を、また盤面図の下には「渡辺明:永世竜王への軌跡」から定番となっている持ち時間の残りを明記するなど、新聞紙上の観戦記に近いつくりになっています。

対戦相手は登場順に升田、大山、山田、有吉、内藤、加藤、米長、大内、森、桐山、谷川、羽生(敬称略)。この第1部だけで本書の6割を占めていますので、手順の解説、対局当時のエピソードも豊富です。

意外だったのは有吉九段との王座戦の自戦記で披露されている、「この王座戦は3局とも終了後に、有吉さんと一緒に徹夜で麻雀をやった楽しい思い出がある。」という話。タイトル戦の対戦相手と対局直後に雀卓を囲むとは、中原十六世名人のイメージから大きく離れた印象を受けませんか?

ライバルである米長永世棋聖や加藤九段は「将棋世界」の自戦記、将棋から脱線した時のNHK杯の解説、雑誌の連載等でその「人となり」がよく伝わってきたのですが、中原十六世名人は林葉直子さんの一件(笑)で特大の花火を打ち上げた以外に「これは!」というは話を目にする機会がほとんどなかっただけに、こういったちょっとしたエピソードに随所で触れている本書はファンにとって貴重でしょう。

ちなみにそのライバルである両氏については、「米長さんはムラというか、調子に波があったが、強いときは私の調子が100%の状態でも勝てないという迫力があった。」、「加藤一二三さんの場合は安定感があったが、95%以上の調子を保てれば、なんとかなるという感じだった。」との分析を披露しておられます(P123)。

そのほか面白ところでは、タイトル戦のホテルで加藤九段が「川の音が気になるので部屋を代えて欲しい」と要望→担当者が中原十六世名人にも希望を聞く→中原「改めて聞かれると、川の音が気になるといえば気になるような…」→部屋変更→新部屋はエレベーターの近くでうるさくて寝付けなかった(笑)という話。

なお、この第1部では締めとして、その対局者とのタイトル戦における通算成績を○●で一覧表にして掲載しています。同一対戦カードとしては最多記録となっている中原−米長(186局!)はタイトル戦だけでも、112局(66−46)と突出しています。

本書の核となる部分だけあって、読み応えのある第1部ですが、間近に読んだ同形式の「広瀬流四間飛車穴熊勝局集」などと比べると、空白の部分目立つので、もう少し文章を入れて欲しかったかな、と。

あと、名人戦の▲5七銀(上図参照)など、本書では後世に語り継がれる絶妙手をはじめ、好手、奇手が複数登場していますが、自戦記ということもあり謙遜しているのか、それともご本人の性格なのか、それらの手に関する記述があまりにもあっさりしているのが残念。

「どうだ、この胸のすくような駒捌きは。これだからファンも増えるはずだ(米長邦雄:泥沼流振り飛車破りより)」は暴走しすぎ(笑)ですが、その手の凄さが文章で十分に伝え切れていない感じです。

このあたりは十六世名人の全盛期を取材したベテランの観戦記者に寄稿してもらうとか、羽生、佐藤、森内、谷川ら現在のトップ棋士が語る「中原将棋の魅力」といった企画が収録されていれば、随分違ったものになったのではないかと思います。

第2部は棋譜の下にA…B…C…等の符号を入れて、余白でその手の簡単な解説を入れる「将棋年鑑」でお馴染みのスタイルを採用した「棋譜解説」となっています(全28局)。

もちろん実際に盤に並べて鑑賞&勉強するのが一番ですが、この第2部は1局あたりに2ページ&盤面図を5枚用意しているので、通常の「棋譜解説」に比べて視覚的にわかりやすく、有段者の方なら盤面図と注釈を頼りにダイジェスト形式で読むこともできるでしょう。

ここでも僅かなスペースを利用して、対戦相手の印象やエピソード等が紹介されており、読者への細かい配慮が伺えます。「郷田さんとの対戦成績は6勝25敗…(中略)…この対局のあと勝利の美酒に酔いすぎて家に帰ってから足首をひねって骨折するというオマケがついた。」なんてのもありました(P261)。

第3部は「名人戦勝局集」。こちらも第2部と同じく「棋譜解説」ですが、1局あたり1ページ&盤面図も1枚となっているので、こちらは盤と駒が必須です(全52局)。

巻末には参考資料として「中原誠記録集」があります。1965年のデビューから脳梗塞によって結果的に「引退の一局」となった2008年の対木村戦までの年度別の全対局の成績表(○●+勝率を掲載)、タイトル選別の成績表(勝敗・手数・残り時間・対局場)、参加した全順位戦のリーグ表、おおまかな棋歴を記した年譜など、偉大な記録をひと目で把握できるようになっています。

中原ファンの方なら、十六世名人の集大成ともいえる本書は既にお持ちかと思いますが、そうでない方(特に若い世代の方)にも不世出の大名人の将棋に触れることができる棋書としてオススメです。