盤上の攻防 将棋王位戦五十年

プロレス団体のポスターのような表紙
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評価:C
対象者:将棋ファン全般
発売日:2010年8月

7大タイトルの序列では、竜王位と名人位に次いで3番目にあたる王位戦。
一方的なスコアは殆どなく、熱戦が繰り広げられる7番勝負はもちろん、若手棋士が本命クラスのA級棋士を破って紅白リーグ入りを決めるなど、波乱が多い予選トーナメントも同棋戦の魅力の一つではないでしょうか。

本書は、そんな王位戦の誕生50年を記念して中日新聞に連載(2010年4〜7月)された内容を単行本化したものです。大山十五世名人から深浦九段まで、11人の王位が誕生した50年の歴史を大山・中原・戦国・羽生の4つの時代に分け、当時の社会情勢も簡潔に交えながら振り返っていきます。

また、単行本化にあたっては、新聞の連載記事とは別に「わたしと王位戦」と題した特集コーナーを用意。大山十五世名人を除く10名の元王位保持者が、自身の戦った7番勝負の思い出を寄稿しています。

全194ページで、巻末には全棋士の系統図と王位戦の過去50年の対戦カードとスコア表が掲載。著者は王位戦のスポンサーの一角を担う新聞三社連合(北海道新聞、中日新聞・東京新聞、西日本新聞)の専門記者として、1986年から同棋戦を取材している高橋譲司氏です。

当時の黄金カード

第20期王位戦 第7局 ▲米長棋王−△中原王位より :図は△4八龍まで
△4八龍と銀を取った上図では、次に△7九銀からの詰みがあります。かといって、平凡な▲同角では△5八とと引く手が詰めろ&角取りになるためパッと見た感じは後手必勝です。

しかし、ここで▲6七金寄としたのが妙手で、詰みそうな先手玉に全く寄りが見えなくなりました。1時間の長考で指された△9九銀以下、▲7七玉△7八龍▲同玉△7六歩▲6一飛△4一桂▲6八金で上部が厚くなり、米長棋王の王位戴冠が決定的となりました。

当時のタイトルホルダー(もしくは挑戦者)の人となり、勝負の前後に何を語っていたのか、ちょっとしたエピソード等などに加えて、王位戦を通じて見た将棋界全体の流れをコンパクトにまとめた感じの一冊です。

著者が記者を始める前の大山時代以前の話は淡々とした内容でもいいと思うのですが、間近で勝負を目の辺りにしている戦国時代(80年代〜90年代前半)、羽生時代の濃密な話がほとんど登場していないのが残念です。
それとも元々は将棋ファン以外の方も目を通す新聞の連載ということもあって、意識的にそうしたのでしょうか。

ただし、少し長い引用になりますが…
『二十代の棋士たちも先輩の威厳や貫禄と言ったものに興味を示さず、盤上の戦いだけに集中した。相手が名人というだけで萎縮した木村・大山時代は遠い過去のものとなった。将棋そのものも人間同士がくんずほぐれつして感情をむき出しにする戦いから、ひたすら最善手つまり真理を追究する学問的なものに変わっていった。そのため大学のゼミのような小集団の研究会があちこちで開かれるようになり、その聖かが本番の対局で試されるという時代になった。(P119より)』は、現在の将棋界の本質を突いた、なかなか鋭い考察だと思います。

本書でとにかく惜しいのは、上図の米長−中原戦の一局を除いては、盤面図がまったくないということです。第48期王位戦の第7局(▲深浦九段−△羽生王位)の終盤で登場した「詰めろ逃れの詰めろ」の絶妙手▲7七桂は皆さんもご存知と思いますが、本書で深浦九段が「生涯忘れられない一手(P185より)」と語っているにも関わらず、肝心の盤面図がありません。

この手は将棋ファンの間では有名なので、仮に盤面図がなくても…と我慢できないことはありませんが、加藤九段が自身の思い出として挙げている予選トーナメント(対佐藤義則八段)あたりの話になると完全にお手上げ状態です。文章だけ読むと、終盤で歩頭に角を捨てて、▲(1五)同歩と取らせることによって、数手後に1五の地点に駒を打つスペースを無くして、詰みを逃れるという凄い手らしいのですが…。

まあ、大人の事情なんでしょうが、符号が登場するのに盤面図がない棋書は、油揚げのないきつねうどん(?)みたいなものです。せっかくの企画本も、この一点でかなり評価を落としていると思います。

なお、巻頭カラーでは、東京都内で催された「王位戦半世紀祝賀会」で一堂に会した歴代王位の写真が掲載されていますが、皆さんいい表情をされています。
その写真と観戦当時の写真を見比べると、年月がいかに早く過ぎ去っていくのかを改めて認識させられました。それにしても、郷田九段は変わりすぎでは(笑)。

「将棋世界」で好評だった河口七段の「対局日誌」のような内容を想像していた方は、一度書店で内容を確認したほうがいいと思います。個人的にはイマイチでした。