真部一男:升田将棋の世界

新手一生で駆け抜けた風雲児
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評価:A
対象者:将棋ファン全般
発売日:2005年7月

50年ほど前の時点で現代将棋に通じる"スピード感"、「新手一生」とも評された類稀なる"創造性"、そしてその圧倒的な"存在感"で、現在もなお多くの人を魅了してやまない升田幸三九段。

若い世代の方は升田九段の現役時の将棋を生で見る機会は全くなかったと思われますが、雑誌や書籍等などで「升田式石田流」の登場はもちろん、「終生のライバル大山15世名人との激闘」「木村14世名人とのゴミ・ハエ問答」「陣屋事件」など数々のエピソードをご覧になった記憶があると思います。

羽生名人は「最も対局してみたい相手」に升田九段の名を挙げていますし、近年その独創的な将棋で新境地を開拓している佐藤(康)九段は「現代の升田幸三」とも評されています。また、藤井九段は著書「四間飛車の急所 Vol.1 進化の謎を解く(P83)」のなかで、升田九段の先見性(41年前の名人戦で大山名人の四間飛車に対して、現代将棋の主流である▲7八金型居飛車穴熊を披露)に感嘆するなど、升田将棋がここにきてますます注目されてきています。

しかし、升田九段の人生や盤外でのエピソードを掲載した書籍は多く出版されているものの、升田九段の「将棋」そのものを専門的な視点で解説している棋書はほとんどなく、CD-ROM形式の「升田幸三全局集」も入手困難となっています。

そんななか登場したのが、今回紹介する「升田将棋の世界」です。著者は雑誌「将棋世界」の人気連載「将棋論考(大山・升田・中原・米長ほか、大棋士の好局を解説)」を執筆していた真部一男(贈)九段。

本書はその「将棋論考」の連載から最も登場回数の多かった升田九段の好局30局をピックアップし、書き下ろしで真部九段による升田将棋の分析・ハイライトを加えたものです(第18回将棋ペンクラブ大賞の著作部門大賞)。
全238ページの2章構成。将棋を解説しているページでは見開きに盤面図が4枚配置しています。目次は以下の通りです。

第1章 私の升田幸三論 現代将棋を創造した天才
第2章 将棋論考 升田好局集30(対大山・木村・中原・加藤・原田・大内…ほか)

凡人には浮かばない発想

第30期名人戦七番勝負第3局より ▲大山△升田:図は▲2六同飛まで
大山名人が妙防の一手▲7九角を放ち、以下△7六桂(王手)▲7七玉に△2六歩と叩いて▲同飛とした局面です。ここで升田九段は△3五銀(!)。▲同角とタダで取らせますが、角を引きつけたことにより、△3四金▲5七角△2四金▲3六歩△2五歩▲2九飛△3六飛…と先手の飛車を封じながら、自分の飛車を活用することができました。

どの将棋もまず真部九段によるエッセイ(1〜3ページ)から始まります。
内容は升田九段とは全く関係なく、村山聖九段との別れ、コンピューター将棋の未来、感想戦、囲碁、羽生・佐藤論、倶楽部24の最強者デクシの正体(笑)、タイガーウッズ…など連載当時に真部九段が感じたことをそのまま文章にしています。

エッセイが終わると本編である升田将棋の解説がスタート。真部九段の解説は格調が高いだけでなく、『常々わしの将棋に千日手はないと豪語する升田だけに、ここで誰も気づかぬ打開策を打ち出してきた。△3三金が常識を超えた一手である。…(中略)…だが先手にしてみれば、この一瞬がチャンスである…(変化手順)…と打って出た。升田は△5五銀と一歩得して中央に交わす。こうなってはもう収まらない。先手は突撃あるのみだが、△4五歩と大急所を突かれては、△3三金の誘いの隙が上手くいったようである。』など臨場感のある文章が随所に登場し、読み手はグイグイと引き付けられます。

真部九段にとって升田九段は憧れの存在であったと書いておられますが、実際に本書の解説を読むと、盤面に棋譜を並べながら熱戦を堪能している様子が伝わってくるようです。

盤面図から盤面図の間に進行する手数はだいたい12手です。細かい枝葉の変化手順ではなく、「升田将棋」の面白さを伝えるための解説ですので、ある程度の棋力のある方なら盤に実際に並べることなく本のまま読み進めることができるでしょう。

ご存知の通り、著者である真部九段は2007年に肝臓がんのため亡くなられました。原因不明の首の病気などのためA級在位は2年でしたが、順位戦の大事な一番で安全勝ちが望める局面も『詰みがありそうなのに逃したのでは、棋譜が汚れる』との趣旨の発言に見られるようにプロ棋士としての矜持を持った方でした。

本書でも登場する「村山聖との別れ(P84)」では、村山九段の優しさが伝わるエピソードの最後に次のように綴っています。

『剛毅木訥の男、村山聖、君の天衣無縫の指しぶりを、もう二度と見ることはかなわぬが、病気との壮絶な戦いぶりは、われわれが忘れかけていた将棋をさせるありがたさを教えてくれた。深くお礼を申し上げます。しばしの別れ、さようなら。』

この文章が連載されていたのは平成10年ですが、真部九段が亡くなられた後に改めて読むと、最後の『しばしの別れ』の"しばし"の部分がとても切ない。「将棋論考」も連載途中のまま終了となってしまったのですが、是非とも数冊に分けて単行本化して欲しいものです。

昭和に一時代を築いた大棋士の将棋を身近に触れることのできる貴重な一冊。オールドファンの方はもちろん、若い世代の方にも読んでもらいたい一冊です。

なお、後世に語り継がれる激闘を繰り広げたライバル・大山十五世名人の将棋は、藤井九段が「現代に生きる大山振り飛車」で分析していますので、興味のある方はそちらも参考にしてみてください。