森下卓:森下の矢倉

随所に現れるエピソードも傑作
この本の詳細をAmazonで見る

評価:A
対象者:5級以上
発売日:1995年5月

本書は「森下システム」で現代の矢倉戦に新しい息吹を吹き込んだ森下九段による自戦記です。A級順位戦をトップ通過し、羽生六冠王(当時)への挑戦権を得た直後に出版されており、まさに第一次絶頂期(第二次はこれから来るという希望)とも言える頃の森下九段の手厚い指し回しが堪能ですきます。

全241ページで自戦記編と棋譜解説編の2章構成で、計50局が収録されています。自戦記編では見開きに盤面が6枚配置されています。

森下システムからの一変化

第8局 第41期王将戦リーグより ▲森下△米長:図は▲4六歩まで
米長永世棋聖が勝てば挑戦権を獲得できるという大一番。対する森下九段は5戦全敗ですが、数日前に永世棋聖から夕食に誘われ「全力で掛かって来い」といわれたそうです。「相手にとって重要な将棋こそ、全力で戦え」という米長哲学をまさか、本人相手に実践することになろうと思っていなかったでしょうね(結果は森下勝ち)。

この局面図はこの二人による共同研究とテーマとなっており、実戦の進行手順、△5五歩▲同歩△同角▲5六金△7三角▲6五金△8四飛▲4七銀はこの形での新定跡となっています。

この頃の森下九段は、後年「誰にも負けるはずがないと思っていた」とご自身が振り返るように、とにかく勝ちまくっていた印象しかありません。『理想は常に完璧に勝つこと。生涯目標は通算1500勝』と常日頃から公言しておられただけあって、本書では負けて猛省、勝っても反省(笑)という、別の「森下システム」が発動しています。

ただ、現在は「勝負術というのは完璧に勝てない人が使う手段、と卑下していた」当時の考え方を少し視野が狭かったとして、考え直しているようです。2手目△3二金も「邪道」としていたのもこの頃でしょう。僕は今の森下九段のほうが、人間臭くて好きですね。

対戦相手は米長、中原、谷川、羽生、佐藤、森内、村山、郷田、加藤(一)など当代一流のトッププロが勢ぞろいで、戦型は森下システムや▲3七銀戦法を中心に、対米長流急戦矢倉、中原流急戦矢倉や右玉などの戦いも収録しています。

最初の12局は1局につき10ページほど解説が用意された自戦記形式で、残りの38局は棋譜の横に簡単な注釈のみを掲載したスタイルとなっています。

前者の場合は、手順の解説は当然のこと、対戦相手の紹介やエピソード、対局中の心理描写など、その1局を盤上と盤外の二面から丁寧に見ていきます。

このちょっとしたエピソードがなかなか秀逸で、なかでも『あるとき私と友人何人かで女性三人と食事をしようという話があり、佐藤(康)さんが幹事を買って出た。やや不安はあったが、的中した。佐藤さんは電話で女性の家に連絡するのが苦手なのか、食事会の三日前になってやっと三人のうちの一人の女性の自宅に待ち合わせ場所、店の地図が入った手紙が届いたという。』は傑作でした。

あと、熱烈に恋愛していた頃(本書より)に、相手がよい返事をくれないので、真意を測りかねて米長永世棋聖に相談に行くくだりも面白い。将棋は永世棋聖を寄せ付けないのですが、こと女性の話では二枚落ちでもかなわない(笑)

ただし、『プロでもすぐに理解できない銀打ち』や『序盤の端歩の付き合いが勝因』など、トッププロならではの濃密な手順や解説も少なくないので、その辺りは無理せずに自分の棋力に合わせて、駒の方向性や森下九段の手厚し指しまわしを大まかに勉強するくらいの気持ちでいいと思います。

森下九段がまとめた矢倉定跡書「現代矢倉の思想」、「現代矢倉の闘い」の2冊を読み終えてから、本書を読むとより理解が深まると思います。

また、姉妹書として出版された対振り飛車の自戦記「森下の四間飛車破り」、「森下の対振り飛車熱戦譜」も良書となっていますので、余裕のある方はそちらも参考にしてみてください。