羽生善治:変わりゆく現代将棋 上巻

10年の時を経てようやく出版されました
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評価:A
対象者:有段者〜プロ棋士
発売日:2010年4月

専門誌「将棋世界」1997年7月号から3年半という長期間にわたり連載され、好評を博した羽生三冠の「変わりゆく現代将棋」。現代矢倉の礎となっている各戦法の進化のプロセスを序盤・中盤はもちろん、戦型によっては「詰むや詰まざるや」という難解な局面まで、あらゆる変化を一切妥協せずに纏め上げた内容は正真正銘の「羽生の頭脳」とも言えるでしょう。

連載時は毎号、三色カラーページに掲載されていた同講座ですが、当時は「第1章 矢倉編」とタイトルが付けられていたことから、「お、第2章は居飛車 対 振り飛車かな」と思われた読者も多かったはずです。しかし、矢倉編だけであれよあれよという間に連載が40回を越え、羽生さんの対局過多もあってか、残念ながら矢倉編で連載は終了となりました。

その後も単行本化される気配が無かったため、矢倉党のアマチュアはもちろん、プロ棋士の先生(最近では渡辺竜王)も「将棋世界」からコピーを取って、自分なりにファイリングしていましたが、将棋連盟の出版物がMYCOMに委託されたことと関係しているのか、今年になってようやく上・下巻に分ける形で単行本化されました。

上巻は矢倉中飛車、△5筋交換型、△6二飛型急戦、米長矢倉のいわゆる「後手急戦矢倉」がテーマとなっています。全267ページの3章構成で、ページ上段に見開きでチャート図が4〜6枚が配置され、下段で解説を行うというスタイルです。

なお、本のサイズもボリュームも通常の棋書に比べて一回り大きいものになっていますが、価格も「羽生プレミアム」なのか(笑)、こちらも少し高めに設定されています。

一旦上がった▲7七銀を引いて中央を厚くします

第1章 矢倉中飛車より:図は▲6八銀左まで

最近はとんとご無沙汰の戦型

第2章 5筋交換型&△6二飛型より:図は▲3六歩まで

矢倉戦でのオープニングとしては初手から、@▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀、A▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲6六歩、B▲7六歩△8四歩▲7八金△3二金▲6八銀の3パターンが考えられますが、本書では@▲7六歩△8四歩▲6八銀△3四歩▲7七銀以下の変化が解説されています。

5手目▲7七銀は▲6六歩と比べると、角道が早い段階で重くなりますし、形を決めすぎている感もあります。その感触を嫌ってか、実戦での頻出度は▲6六歩>▲7七銀ですし、▲7七銀型には本書のテーマとなっている「後手急戦矢倉」が有力な対抗手段として浮上します。

ただし、▲7七銀型に組むことで、強い攻撃力の反面、玉の薄さが終盤に響く△急戦矢倉に誘導するケースも少なくないわけで、我々アマチュアにとってはこの辺は深く考えずに、「好みの問題」として捉えている方が多いのではないでしょうか。

しかし、そこは流石トッププロの世界、50:50の形勢がわずかに傾く最善手を先述の3つのオープニングから探求しています。登場する将棋はいずれもプロの実戦で現われたもので、対局者の明記はないものの羽生三冠の実戦だけでなく、米長−塚田のA級順位戦なども確認できました。

各章の冒頭ではイントロダクションとして、基本図ともいうべきA・B・C・Dと4枚の盤面図を掲載。そして「戦国時代の家系図」や「アリの巣の断面図」のようなチャート形式で変化手順をまとめ、枝分かれする候補手以下の手順をすぐに読めるように、候補手の下には「▼〜ページ」と参照すべきページが記されています。

続く本編では、本書の最大の特徴である「チャート図」をページ上段で複数枚リンクさせており、ページ下段で羽生三冠が解説を行うというスタイルになっています。
読者層を全く想定していない(=妥協しないプロレベル)硬派な構成ですが、「手の狙い」や「形勢判断」の理由づけがしっかりしているので、かなり読みやすいです。

しかし、もはや戦型が想像できないほど盤面がほぐれた「終盤の寄せ」までビッシリと解説していますので、よほどの実力がある方以外は盤・駒は必須でしょう。

通常、見開きで最大6枚も盤面図があれば本だけでもなんとかなるものですが、本書のチャート図は「第○図」と「第×図」の間に、変化手順の一部しか掲載されていないケースが多いため、チャート図の意味をあまりなしていません。

これが本書の良くないところで、盤面図の間にはかなりのスペースがあるにもかかわらず、「第○図から▲〜の変化」と、一行しか書いていないものも・・・。

連載直後ならともかく、10年以上も経っているのですから、もう少し時間を掛けてでもこの部分を改善して欲しかったと思います。ただし、「将棋世界」連載時には、図以下の本筋となる手順がひと目でわかりにくかったのですが、本書では太字で示すように改善されているなどの工夫も見受けられました。

本書はトッププロの将棋をベースにして、現代矢倉の進化を羽生流の考察を交えてまとめたものです。類書が無いためカテゴライズが難しいのですが、定跡書の「東大将棋ブックス」に、「戦いの絶対感覚」を組み合わせた「プロの思考に触れることのできる定跡書」といったところでしょうか?

趣は異なるものの、矢倉▲3七銀戦法の全変化を網羅しようと試みたライバル・森内九段の「矢倉3七銀分析」と肩を並べる意欲作。「そこまで掘り下げるのか!」とトッププロの研究に驚かされるとともに、将棋の奥深さ・難しさを改めて実感できる一冊ですので、続編となる「変わりゆく現代将棋 下巻」とともに矢倉を指さない方にもオススメです。