羽生善治の終盤術 Vol.1 攻めをつなぐ本

終盤における大局観を上手く言語化した一冊
この本の詳細をAmazonで見る

評価:S
対象者:有段者
発売日:2005年12月

手元に参考データがないので詳しい数字は把握していませんが、プロ公式戦における平均手数は徐々に短くなってきています。その一因として、終盤における寄せの技術が体系化されし、「プロの終盤は誰が指しても同じ(by 羽生二冠)」というレベルにまで達したことが挙げられると思います。つまり、一旦優勢になった将棋は逆転を許すことなく、そのまま勝ちきるケースが多くなったわけです。

そんなプロの終盤術を、羽生二冠が自らの言葉でまとめたのが本シリーズ(全3巻)です。従来の終盤に関する棋書は、詰将棋や必至(必死)、手筋、囲い崩しなど、終盤の特定の局面における「テクニック」的なものがほとんどでしたが、本書では終盤の入り口から投了までを一本の線で捉え、「物凄く急いで攻める」「それほど急がなくてもいい時」「攻め駒が足りないとき」などの方針・テーマに合わせて、羽生二冠の考え方や大局観を中心に解説しています。

講義は羽生二冠の実戦(全18局)における終盤を、それぞれ10問前後に分割して「次の一手」形式で読み進めるスタイルとなっています。また、最終ページで上下をひっくり返して、今度は最初のページに向かって読み進めていく、浅川書房の棋書ではお馴染みの方式を採用しています。

全226ページの4章構成。問題によっては1ページを丸ごと解説に充てることがあるものの、基本的にはページの上段1/3に前問の解答図と解説、ページ下段2/3に次の問題図とヒント、そして「基本」「重要」「難問」のマークが掲載されています。

形勢は先手優勢も攻めがないと即負けパターンへ

第1章 No.5 攻め駒が足りない時より:図は△5四同銀左まで
攻め駒が不足気味の場合、例え形勢が良くても、1回でも攻めが切れてしまうと勝ちは望めません。ここではどういった方針を元に指し手を選ぶのが正解でしょうか?

上図で先手が負ける展開としては、飛車角を押さえ込まれて手も足も出なくなるケースが考えられます。そこで羽生二冠の選択は、▲6五歩△5五歩▲6六銀です。▲6六銀は自ら穴熊の一部を崩すことになりますが、不足した攻め駒を増やしつつ、大駒の活用も視野に入れた大きな一手です。ここから3問ほど進行させたのが、下の問題図となります。

飛車角の活用を狙います

図は△7三金打としたところです。まず、▲8四歩△同金直で金の連携を崩してから、▲6五金と飛車角の動きを封じている要の桂を外します。

対して△6五同歩は▲5七飛と走られますので、△4八銀と粘りますが、構わず▲5七角が穴熊ならではの強手。この時に5七の角が8四の金に当たっているのが、数手前の▲8四歩の効果です。以下△5九銀不成には▲8四角とバッサリ切って、△同金▲7ニ金△8三玉▲8五歩で寄り形となります。

問題の難易度はいずれも高く、高段者の方でも正解率は60%あたりではないでしょうか? それでいて驚かされるのは、派手な一手は皆無、終盤に特化した棋書で頻出の手筋や囲い崩しもあまり登場せず、地味な手が非常に多いという点です。

逆に「これが筋」的な手が一目で頭に浮かんで、「これで寄りだろう」と以降の手順を深く読まないでいると不正解であることが多く、僕の場合も「"寄り"と"寄りそう"ではまるで違います。前者は勝ちですが、後者の場合、寄せに出てそこで攻め駒が1枚でも足りなかったら、まず負けです。」と、厳しい言葉が待っていました(笑)。

本書を読んで不正解が多い場合、その背景には単に読みが浅いとか深いという問題に加え、終盤の局面を正しく判断(ex:攻めは急ぐのかorゆっくりなのか、相手陣の急所はどこなのか、どの位置に玉がいれば寄りやすいのか)できていない、もしくはその判断に沿った手を一貫して指しきれていない、という大きな問題があります。

この言語化しにくい分野に切り込んだのが本書の功績で、終盤における正しい大局観をいかに養い、一貫して手を繋いでいくかを羽生二冠の実戦を例題にしっかりと学ぶことができます。

個人的には「相手の攻めを利用して重い形を軽い形に変える」、「勝負手を放たれた場合は、駒の損得にこだわることなく、相手の攻めの連続性を絶つことが最優先」、「○を打ちたいマス目を他の駒で埋めさせる」など、普段は全く意識したことのない考え方に触れることができたのが最大の収穫です。

本書は「大局観」をテーマにした「戦いの絶対感覚」シリーズと近い位置付けにあると思います。しかし、「戦いの絶対感覚」は正解に至るまでに求めれるプロセス(局面の捉え方・読みの手数)がかなり複雑だったのに対し、本書は1局の将棋を10問前後に分割して、一段一段階段を上っていくスタイルを採用しているため、難易度こそ高いものの、とっつきにくさは全くありません。

惜しむらくは、本書で登場する全18局の対戦カードは巻頭で掲載されているものの、巻末に棋譜が載っていないこと。巧みに手を繋いでいく羽生二冠の技を初手から盤に並べて堪能したい方も多かったと思うので、そこが唯一残念な点です。

本書の続編となる「Vol.2 基本だけでここまでできる」「Vol.3 堅さを崩す本」も同じテーマですが、Vol.2は「玉は下段に落とせ」「左右からの挟撃」「玉を包むように寄せる」など、「寄せの基本手筋」を意識的に登場させた問題を中心に、Vol.3は対美濃・穴熊・矢倉における「囲い崩し」に特化した内容となっています。